
不沈艦・サンライズなハンセンさん
皆さんのスタン・ハンセン選手のイメージは、新日本プロレスか、それとも全日本プロレスでしょうか。
私にとっては……やっぱり、全日本プロレスですねぇ。
2大メジャー団体で大活躍したスタン・ハンセン選手。
週プロで、馬場さんやハンセン選手の記事を見かけたとき、ふと昔を振り返ってみました。
私の中で、不沈艦スタン・ハンセン選手は、全日本プロレスを象徴するトップ外国人選手という存在です。
後になって文献を読み、実は新日本プロレスで先に活躍し、確かな地位を築いたあと、全日本プロレスへ電撃移籍したことを知りました。
燃える闘魂アントニオ猪木選手と、NWF王座をめぐって何度も激闘を繰り広げたハンセン選手。
猪木さんが放った掟破りの逆ラリアットの衝撃的なシーンは、今でも何度も映像で見た記憶があります。
そんなハンセン選手が、盟友ブルーザー・ブロディ選手のいる全日本プロレスへ電撃移籍するなんて、当時は、それはもう大ニュースだったそうです。
長く活躍し続けた全日本プロレス時代の中で、私の中のハンセン選手は、ジャイアント馬場選手との超満員札止めの名勝負や、年間ベストバウトの印象だけではありません。
ファンクス道場で共に汗を流したジャンボ鶴田選手との激闘でもなく、龍艦砲として共闘もした天龍源一郎選手との熱戦でもありません。
鶴龍が去ったあとのリングで、三沢光晴選手、川田利明選手、小橋建太選手――後の四天王を、真正面から受け止め、そして力で跳ね返していたスタン・ハンセン選手です。
たしか、三沢選手が初めて三冠ヘビー級王座を奪取したとき、王者だったのがハンセン選手で、後に代名詞の一つとも言えるランニングエルボーが炸裂した試合だった気がします。
三沢光晴選手は、本当に新世代の、しかも「大勢の一人」ではない、オンリーワンの旗手でした。
三沢選手が道を切り拓いたからこそ、そのあとに川田利明選手や小橋建太選手が続いていったのだと思います。
新日本プロレスは、誰か脱出した1人というより橋本真也選手や武藤敬司選手、蝶野正洋選手の闘魂三銃士として藤波辰爾選手、長州力選手に挑んでいき大人気となっていきました。
川田選手は、ハンセン選手と年間ベストバウトを受賞するほどの名勝負を展開し、
小橋選手は何度も何度もラリアットを浴びる中で、その真髄を体で覚えていったのだと思います。
ハンセン選手はシングルだけでなく、ブロディ選手はもちろん、テッド・デビアス選手やダニー・スパイビー選手ともタッグで大活躍しました。
ダニー……久しぶりに声に出して名前を言いました・・スバイビースパイクっ(笑)
まだ団体間の壁がとても高かった時代。それでもハンセン選手は、ビッグバン・ベイダー選手と団体を越えた、超・肉弾戦を繰り広げました。
かつては後輩であり、のちに世界的スーパースターとなったハルク・ホーガン選手とも、ビッグマッチで激突しています。
今では考えにくいかもしれませんが、当時はプロレスを詳しく知らなくても、
外国人レスラーといえば、ブッチャー選手やハンセン選手の名前は聞いたことがあったと思います。
リチャード・スリンガー選手、カンナムエクスプレス、ジョニー・エース選手となると、さすがにプロレスファンじゃないと「?」となってしまうかもしれません。
ブレーキの壊れたダンプカー、不沈艦と言われたハンセンさん。
残念ながら短命に終わる外国人レスラーも多い中で、引退後も時折来日してくれる、数少ない存在。
スタン・ハンセン選手は、まさに「ザ・外国人レスラー」だったんだな、と、あらためて思うのです。

